そろそろ老人
私が20代の頃、額面30万くらいの頃、手取りは27万くらいあったようにおもう。残業もあったが。
その後、年月が過ぎて額面30万くらいのところに行ったが、手取りは20万くらい。
給料は増えるとも、社会保障の負担がすごい。
かつて父が末期がんとなり、入院。この頃は父は後期高齢者。で、症状が進行、気管を切開し延命措置。この時、医師からの相談はなかった。
延命措置は、直る見込みもなく本人の苦しみが長引くだけ。生還する見込みもなく苦しみだけ与えるのは医療と言えるのだろうか。
あらかじめ無理な延命はしないでほしいと主治医には言ったのだが。入院は長期となった。
その医療費にある程度の覚悟をしたが、入院、手術費も含めてえらい安い。世界でもこんなに安く人の命を支えられる国はあるのだろうか。
増え続ける社会保障費用の負担の上に成り立っているシステムではあるのだろう。
中小企業の場合、社会保障費用の負担に耐えられないところもあり、従業員をフリーランスにするところもあるという。脱法的な偽装請負。
正規に雇うと、厚生年金などは会社が半分負担する仕組みだし、それは結局労務費経費だからな。
若い方の負担で本人が苦しいだけの老人の延命措置をすることに何の意味がある。
私は自分に何かあったら、健康保険証、マイナンバーカード、そのほかあらゆる方法で延命措置はしないとの意思表示をすることにしている。
フォークと言葉とfacebook
今夜のうたコン、フォーク特集。岡林信康の三谷ブルースもやるって。で、五つの赤い風船出るかと思って楽しみにしていたのだが。
五木の子守唄じゃなかったのか。
翼をください、や、今日の日はさようなら、は、エヴァ以降、なんだか意味性が変わってきた。
シンエヴァのボイジャーも松任谷由実のをわざわざ林原だった。さよならジュピター。
凡作と言われるアレを小松左京が自ら音頭をとった映画。映画に手を出さなければ惜しい天才もいたし、天才の映画作家もいた。わざわざアニメ映画に手を出した手塚治虫は叩かれたが、俺はスカ、いや好きだ。❤️。アニメエヴァのあの感覚わかるのは、我々の世代が最後なのかな。
そうは言っても私にしろ五木の子守唄と竹田の子守唄がごっちゃになっている
あれは赤い鳥の竹田の子守唄か。
酔っ払ってごっちゃになった。
明日整理してみるか。
フォーク特集。フォークロアって。
自主規制である放送禁止歌もだいぶテレビでやるようになってきた。もろもろ風化しているせいか。しかし、三上寛の気狂いを連呼するやつはいくらなんでも放送できまい。
ただ、現状のネットでは、和製リベラル勢が差別主義者という言葉を気軽に使いすぎではないかと思う。
思想信条の自由はあれどジェノサイドに繋がる言辞はダメだ。
しかし思想的な対立相手を差別主義者レッテルを安易に使い過ぎると、差別主義者という言葉が軽くなってしまう。強い言葉を使い過ぎると言葉のインフレーションで、言葉の価値が下がる。
メタ運営のfacebookは、ポリコレ関係にうるさくなって投稿に制限が出てきたという。しかし、外資系だけあり、日本のそうしたセンシティブな、情報には、疎いだろうな。試してみるか。
遠藤ミチロウは、被差別部落問題とはいうが東北そのものが被差別部落だ、と言ってたな。
不動産の相続
相続というのは仲の良い兄弟でも、骨肉の争いとなるケースが多いという。
私のケースだと、親の世代、祖父が亡くなった時から父の兄弟間での諍いが長く続いた。
特に祖父が東京で買った家を巡ってだ。
まあ一族の恥でもあるが。
その家は、祖父の次女夫妻が住んでいたが、次男夫婦が追い出してずっと住んでいた。
祖父が亡くなり、遺言書で祖母に相続となった。
祖父の死後、祖母は上京して、医師となった三男のところに行き、その後、次女夫妻のところに行った。
本来であれば、祖母が二男が住んでいる家を相続しているのだから、三男のところに行くはずだったが、なんだかんだ理由をつけて二男はなかなか受け入れなかったという。
次女のところに居た祖母は入院したことがあったが、二男は見舞いに来なかったという。
その後祖母は三男のところに行ったが、すぐ入院し、後亡くなった。
その時、祖母の財産を兄弟たちで分割するのが筋であったが、祖母の貯金、問題の家どちらも二男が独占してしまった。
ウチの父親は、祖父が亡くなった時、長男ということで東京から田舎に戻り、実家や田畑を相続した。
三男や次女はゴタゴタに嫌気がさしたか、相続分は要らないという事になったが、四男が自営業で経営が苦しくなり、二男に遺産の分割をずっといっており、三男も二男に再三にわたりせめてハンコ代だけでも四男に出してやったらどうかと申し入れていた。
本来であれば祖母が亡くなった時点で貯金や家敷地を公平に分割すべきであった。
不動産は分割できないので、住みたい次男が、相当分の金額を他の兄弟に渡すか、不動産を売却してその売却益を分割すべきだった。
しかし二男はそれをせず亡くなり、二男家族はずっと問題の家に住み続けた。
しかし、兄弟等相続人全員の同意が無ければ相続登記もできず、問題の家は、ずっと祖父名義のままだった。亡くなった祖父名義のままだと改築や立て直し、売却ができない。
そうしているうちに相続人の兄弟たちが亡くなり始め、今現在当時の相続人は四男だけとなった。
相続人が亡くなれば、そな配偶者や子供が相続人となり、相続人の数は増え続ける。
私も父が亡くなった時点で問題の家の相続人となり当事者となった。母と弟とだけど。
父は亡くなる前、俺は四男に借りがある、と言っていたという。相続の件解決できなかったのが負い目になっていたのだろう。
父が亡くなった途端、御しやすくなったと思ったのか、二男の配偶者であるおばが相続のことで話に田舎の実家に来て、母と話し合いをした。
二男の配偶者のおばは、ずっと住んでいることもあり、問題の家を自分たち家族のものにしたかったのだろう。
母はやはり父の兄弟のこともあり、不公平に関したのだろう。法的なことはわからないが、不穏に思ったのか、話し合いには応じなかった。
母だけでなく、この時点で相続人は私も含めて15人に膨れ上がっていた。二男の家族以外の相続人は、皆不公平に感じていたと思う。
15人が皆納得して意思統一しなければ、問題の家の相続登記は不可能であり、この時点では解決不可能に思えた。
まあ、母が亡くなり、私自身相続をなんとかしようと思い、問題に取り掛かる事にした。特に今年から相続登記の義務化の法律が施行されるので悠長にはできない。
それでも問題の家についてのとりあえずの解決まで1年半かかった。
この件の解決の糸口が見たかったのは、実家の整理をしていた時、ある書類を見つけたことだった。それは曾祖父と祖父の相続証明書と、祖母の遺産分割協議書だ。
曽祖父と祖父の相続証明書は、田舎の実家とその他の田畑山林なと40箇所にわたる不動産を父に相続登記するためものだ。そのために、父以外の兄弟姉妹、祖母、母が、相続分不存在証明書を作成していた。相続分不存在証明書とは現在ではあまり使われない書類だが、これは自分は被相続人の生前に相応の遺産を相続しているから、亡くなった後には相続する財産はありませんという事を証明する書類だ。
旧民法では家督相続ができたが、現在の民法では、田畑も相続人で相談して分けなければならない。そうすると田畑が細かく分割されていく事になる。相続分不存在証明書を使えば、家督相続みたいなスキームを使うことができる。
さらに祖母が亡くなった時の遺産分割協議書でも、祖母の全ての遺産を父に相続するという事を父以外の相続人が証明している。
この二つの書類は、田舎の40数ヶ所にわたる不動産を父に相続するために作られたようだが、これだと、全ての遺産を父に相続することになる。
つまり法的には東京にある問題の家敷地も父が相続している事になる。当時その事に父母が気がついていればとっくに解決していたと思うが、田舎の不動産のための書類だという先入観があったのだろう。
その二つの書類を司法書士に見てもらうと、東京の不動産も父が相続しており、父母が亡くなった時点で、その相続人の私と弟が相続する事になるのだという。
ただ、決定的な書類が足りないのだという。
東京の不動産の名義人である祖父と田舎に戻って隠居していた祖父が同一人物である事を証明する書類だという。それは祖父の住民票の除票か、戸籍の附票なのだが、祖父が亡くなり時間が経ち過ぎているのでそれらの書類は、役所ではとっくに破棄されて入手できない。
それらがない場合、登記証明書があればいいというが、それは二男家族が占拠している問題の家に置いてある。二男家族からは協力は得られないだろう。
それ以外の方法としては相続人全員の上申書。これも不可能。
司法書士によれば役所で戸籍の附票と住民票除票を破棄した証明書があればいいのではというので田舎の役場から取り寄せる。
そうこうしているうちに、実家で祖父の印鑑証明が出てきた。住所は問題の家の住所となっている。公務員が作成した書類は公的証明書として使えるので、祖父の相続証明書と、祖母の遺産分割協議書を組み合わせれば登記できるのではないかと思い、法務局に相談した。法務局か職場近くでよかった。法務局の相談員は登記官が行うことが多いので実際に運用する行政の方のいうことは安心感がある。
相談員が言うにはまだ書類が足りないのだという。
まず、印鑑証明の住所と、現在の住所が、時代が変わり変更されているので地名が変更されている証明書が必要なのだという。
後は、祖父が当時住んでいた住所での不在籍証明書と不存在証明書。
それらを取り寄せ、書類一式をまとめた。
そして法務局でもらった申請書への記入。
相続関係説明図などもイラレで作成した。
膨大な書類群となり、トートバックにぱんぱんとなった。
司法書士にお願いしょうと思ったが複雑になりすぎたので全部自分で作って法務局に申請。
申請が通る期日になったら、法務局から電話。
これはやはり通らなかったかと不安になるが、書類が多すぎて時間がかかるので、登記証明書を渡す期日を伸ばしてくれとのこと。申請は通る見込みだという。
その期日に、登録免許税の印紙を買って、登記証明書をもらいに法務局にいく。今は不動産の登記証とは言わず、登記情報通知書というやつで、パスワードみたいな文字列が印字されているものだ。
これで問題の家は私と弟の名義となった。
紆余曲折あり今年の1月に問題の家の売却もできた。名義は私と弟のものではあるが、経緯や、父の四男には借りがあるということばもあり、相続人親族にある程度贈与する事にしていた。特に四男には経費を除いた法定相続分を渡した。
疲れた。
田舎の実家も空き家となったので、整理しなくてはならない。実家やその他の不動産は、ネットで相続登記は済ませた。これも司法書士には頼まず自力でやった。
実家は近隣の方が、欲しいとのことで売却する事にした。買ってくださる方は、母がデイサービスに行っている時にお世話になっていた方で、縁を感じる。
こちらは東京の問題の家と違い、気持ちよく取引できた。
ありがたい。
杖をつういて歩こうよ
杖をつく歳ではないが、腰がやられた。
腰はその後鈍い痛みを感じながらも仕事はしていた。
その時腰がいったときから時間が経ち、もう大丈夫かとおもっていたのだが。
朝。事務所に向かうも左股関節が
激痛で駅まで行けないと引き返した。
時間を見て、杖の代わりに手近の傘をついて整形外科へ。
杖をつういてあるこおおよ。
涙がこぼれないように。
これは痛い。
きたね、年齢腰。
一番近くの整形外科に傘をついて原因は何だろうと暗澹たる思いで体をひきづって行ったね。
整形外科に行くと、開院直後にも関わらず満員状態。ここから腰の痛みを我慢して待たなければならないかと、魂が口から出そうになった。
待ってから院長から問診。レントゲンするから待合室で待てとのこと。腰を支えて待合室にリターン。
そしてやっとのことでレントゲン。腰と股関節を何枚か撮ってもらった。
撮ってもらうもまた、待合室で待てと。痛えよ。待てないよ。
そして院長よりよびだし。永井豪。
骨は綺麗なものだと医師に感嘆された。
では何が痛みの原因かというと、筋肉の炎症からくるとか。
長年ディスクワークのための筋膜炎みたいなものだとか。それでここまで歩けなくなるのか。
本
大友克洋全集欲しいな、と思っているうちにもう二期が出るのか。
筒井康隆全集もボロボロだけど買い直したいし。
手塚治虫漫画全集も揃えたい。
欲しいが置くところもなく、これは書庫を渇望する。
ガラスの仮面、数年前の段階で揃っている文庫を読んだ後、捨ててしまった。
パタリロも処分した。
書庫があれば処分せずに済んだ本の数々。
宝島別冊も揃えていたが、処分してしまった。これは時代の記録として重要な気もしていたが。当時の宝島別冊編集には今のベストセラー作家橘玲氏も関わっていたという。
オウム真理教関連の資料もほとんど処分した。
しかしまだ本は生活空間を圧迫している。
書庫か。
書庫があれば全部保管できたかあ。
そんなことも言ってられない年に差し掛かっている自分。
今の会社の協力者である禅宗の僧侶の方は、高齢のこともあり最近、居住していたマンションを引き払い、高齢者向けサービス付き住宅に引っ越した。元のマンションよりは狭いので、大量の蔵書を処分したという。
今でも著作活動はしているので、引越しに伴う蔵書処分には抵抗があったと思われる。
私も還暦をすぎ、蔵書を増やすのはどうかとも思うが、欲しいものは欲しい。ただ、自分が頓死したとして、残された親族はどうなるのかと。
書庫のある不動産は、埼玉の僻地であれば手の届く感じではある。しかし野放図に本などのコレクションを集めてどうなるのか、逆に処分を始めろよ、という葛藤がこれからの人生の課題である。
その人亡き後の無価値価値あるオタクのコレクションの保存、処分をしていく行政からの補助金も含めたNPO組織などを考えてみるか。
ほぼ全裸
東京都知事選の掲示板が話題を呼んでいる。
仕事場が東京なので掲示板をチラ見しながら通勤している。まだ穏健なポスターしか見かけない。
しかし今回の選挙では、候補者の数がおおすぎ、掲示板のコマが足りなくて、はみ出した候補者は、クリアファイルを使うことになるという。掲示板からはみ出す候補者にとっては、これはないだろうが、行政にしてみれば苦肉の策なのだろう。
報道やネットでは奇天烈なポスターが貼られつつあるという。
東京都知事選のポスター掲示板に、ほぼ全裸の女性の写真を使ったポスターが貼られ、警察から警告を受けて撤去された。
公序良俗に反するものとはいえ、官憲による選挙妨害とも言える。
ほぼ全裸。今回は、若い女性のものではあるが、モロ出しではなかった。ほぼカニみたいなものだ。カニの食味があるがカニではない。同様に全裸に見えて全裸ではない。
これがとにかく明るい安村のほぼ全裸ポスターだったらどうか。
安村であってもデブ専のゲイの方がみれば、性的な情動にうったえかけられる可能性がある。
NHK党では選挙ポスターを広告媒体として営利利用している。ポスターにQRコードがあり、出会い系サイトに誘導されるようなものもあるようだが、これは法律のバグをついたようなものだ。
今回どうなるかわからないが、法律の改正は必要だろう。
ただ、泡沫と言われる方の主張でも選挙であればそれは権力に踏みにじられないことが民主政治だし、奇天烈な主張を楽しむのも選挙ウォッチの楽しみでもあり、無駄な税金を使うのも民主政のコストでもある。
Wikipediaからのメモ。
埼玉県加須市長選挙無効事件(さいたまけんかぞしちょうせんきょむこうじけん)は、1975年に実施された加須市長選挙の管理業務が部落解放同盟と市同和対策課から干渉を受け、選挙やり直しに至った事件。本件においては、選挙管理委員会が選挙運動用ポスターの内容を審査する権限がないことを判示し、選挙の自由公正を著しく阻害したとして、選挙無効の判決を言い渡した。
しまい方
このところ人生のしまい方について考えさせらせることが続いた。
まずは母。
一昨年亡くなったのだが、亡くなる前に葬儀のこと、親族へのことなどの書き付けをノートに残していた。
また、貯金は葬儀代、田舎の実家周りの処分などの金額を残して大体使い終わっていた。
自分が死ぬ時も、財産は自分のために使い終わって死にたいものだ。
ただ明治元年築の実家は私が継ぐものと思っていたようで、家財道具そのまま残っている。高齢の女手一つでよく長年管理して来たと思う。
そしてもう一人、今年の初めに練馬の祖父の家を売ったのだが、その買主。練馬宅の隣の家の方のお兄さん。
そのお兄さんは、ランボーなどの翻訳をしていた著名なフランス文学者で、95歳という年齢の方。
昨年まで上石神井の持ち家に住んでいたが、足腰が弱り施設に入る決断をした。一人暮らしのため持ち家は処分することに。
文学者ということで家には大量のフランス語の原書などがあり、古本屋に処分を頼んだという。
トラック2台分あったようだがほとんど値がつかなかつたという。
人生をかけた仕事で使った書籍を処分、また長く住んだ家を処分。そして頭ははっきりしたまま施設への入居。その気持ちはどうだったのか。
95歳。後のことを考えていたのかもしれない。
家に大量の本を残して自分が死んだらどうなるのだろうかと。
その文学者は子供がいないので、相続人は弟さん。
弟さんも結構な歳で、文学者は大量の本やひょっとしたら自分がその中で亡くなってしまいその家
を残すのはしのびないと思ったのかもしれない。
さらに言えば、その文学者は、国立大学の教授で、著書もらも大量にある。弟への相続税も考えたのだろう。
自宅を売却した現金も合わせ、弟の麟家である私名義の不動産をを購入したいと昨年末依頼があった。
現金で弟さんに相続するより不動産にしたほうが評価額が下がるので相続対策となる。
その95歳の文学者と今年1月に契約をして練馬の家を売却した。
その文学者は、それから半年も経たず先日亡くなった。
見事に人生を後始末されたと思う。
願わくば自分も後に残る相続人、私も法的な相続人は弟になるのだが、に迷惑をかけないようにしたい。LPレコードは少し前に処分した。
オタク趣味のグッズと本、パソコンの色んなサイト、ネットバンク、ネット証券などのアカウント、デジタルデータ、これ厄介だよな。さ